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ゆうべ見た夢。人間レベルにでかいコウモリが僕の部屋に侵入してきた。そのコウモリは人間に憧れてるらしいのだった。コウモリは病気を媒介しそうなイメージあってバッチいから追い払ったらベランダに干してあった僕の服とかをごっそり持って飛んで行った。ベランダに出てみたら何故か僕の部屋は高層マンションの相当高い階で、周りは全部海だった。コウモリは服が重すぎて墜落して海に沈んだ。僕は海上に落ちた服を取り戻すのは不可能なようだなと思った

サイゼでボンゴレ食べたけど、まあおいしいけど、あさりの貝殻からチマチマ身を剥がす作業がめんどくて、子供の頃にご飯に貝汁が出るとうんざりしてた記憶を思い出した。苦労した割にはそれほど美味しくないし。あと砂がジャリジャリするし。先にミラノ風ドリアを食い終わってたからその皿を貝殻入れにしたけど、単品で頼んでたら厄介な事になってた気がする

「意志と表象としての世界 40節」崇高の反対は魅惑的なものらしい。例えば静物画を見て崇高な気分になろうとしても、絵の中に食べ物が描かれてると「食べてえなあ」って欲望が湧いて気が逸れちゃうからアカンと。同様にエロい裸も良くない。これ読んで思ったけど、百合漫画とかが尊さが滲み出やすい気がするのも、男女が出ちゃうとすぐ恋愛関係とか肉体関係に繋げて考えちゃうから、百合の方が気が逸れないからかもしれんね

ショーペンハウアーの「意志と表象としての世界」38節 ショーペンハウアーが言うには、我々は欲望の奴隷。一つ欲望を叶えても、10個の別の欲望が生じるだけできりがない。我々は常にきりの無い欲望に振り回されてるから、世界にあるモノを自分(の欲望)と関係あるかどうかでしか見れない。それに対して天才はモノそれ自体の本質をありのまま捉える。それが可能なのは天才が凡人と違って欲望に振り回されてない、安らぎの世界にいるから。あれやこれやの悩みとか、あれが欲しいこうしたいとかの欲望とかの自分の置かれてる現実から完全に離れた純粋な安らぎの気持ちで世界を見ている。オランダの静物画は、そういう安らぎの世界をモロに表現している。私達凡人は、こういう芸術作品を通してはじめて天才が観ているようなありのままの安らぎの世界を垣間見る事ができる。自分の普段のしょーもないモノの見方とのギャップが大きいほど感動してしまう。ロイスダールなんかは全然平凡な風景の絵を描いたけど、そうする事でむしろ鑑賞者は自分の普段の世界の見方とのギャップを感じる。

今観てた夢。ゾンビパンデミック起きて、もうすぐゾンビ押し寄せるから地区の皆で避難する事になったけど、僕だけは舞空術でゆっくり飛べるから余裕ぶっこいてたら、トンネルを通らないと行けなくて、天井に大量に潜んでたゾンビ化したアライグマ的動物がジャンプして飛び掛かってきて結局指を噛まれた

twitterでよく自分の昔の絵と今の絵を比較してる人いるけど、傍目から見るとなんか半分くらいの確率で昔の方がいんじゃねと思ってしまう

二次創作を描く時は漫才パートと仲良しパートをすっ飛ばして描くから、一次創作に移行しようとしてもどうも上手く行かなくなってた

きらら作品とか読むと、4コマ漫画として切り出して読んでも全然面白くなかったりする。でもそんな事は問題じゃないんだ。4コマが面白いかどうかより、キャラのリアクションで性格を表現できてるかどうかが大事。4コマが面白いかどうかより、キャラが面白いかどうかの方がよっぽど作品に重要。4コマが20本あれば、20回もキャラアピールのチャンスがある。ヒロユキ流マンガ術で、漫画は全ページをキャラの魅力の表現にあてろ!って言ってるのもそういう事なんだね

けもフレなんかだと、かばんちゃんは記憶がないから漫才で自分のキャラを示せない。視聴者からすると「かばんちゃんが好き!」みたいにはならない。その分サーバルちゃんが2倍くらい一人漫才してくれる(あとボスも漫才してくれる)から視聴者はサーバルちゃんが好きになるから何とかなった

何でこういう構成になるかって、視聴者の気持ちに立てばわかる。まず最初は視聴者は主人公を見ても、「誰やワレ?」としか思わずに警戒してるから、警戒をほぐす必要があるから、とにかく漫才する。ここに作家性とかは要らない。つまらなくてもいい。手早く視聴者からの好感度を稼ぐ。それから仲良しパート。主人公がヒロインと出会い、仲良くなる。視聴者はここで、この話がどこに行こうとしてるのか理解する。「こいつらがくっ付いてゴールってわけや!」漫才パートのおかげで主人公を応援したい気持ちが視聴者に芽生えてる。そんでいい感じになった所で、ありとあらゆる問題が降ってきて主人公達を苦しめる。視聴者は「なんてこった!誰かこいつらを救ったれや!」とハラハラする。そんで最後に全てが完全に解決する。視聴者は完全に満足する

天気の子を観てて思ったけど、大抵のアニメには4つのパートがある。①漫才パート。かけあい漫才や茶番でキャラの性格を理解する ②仲良しパート。主人公とヒロインが仲良くなる ③ありとあらゆる問題がやってきてキャラを苦しめる ④解決する

新海監督は今まで東京をキラキラ描き過ぎてて、”東京賛美罪”やぞと思ってたけど、天気の子は雨降りっぱなしのくすんだ色のリアル東京、イヤな東京を描いてたから、えらい!と思ってたら、最後東京を沈めたから100万点!とか思ってたらその後台風19号来てマンション沈みかけてシャレにならんくなった

新海監督がここまで露骨にPV、MV、CM作りたいアピール連打してるのに、どうして他の人達にパチモンみたいなアニメCM作らせてバンプにジェネリックRADWINPSやらせるんだよォ!

新海監督って自分の映像がCMっぽいのに自覚的なのかもね。あのいくらなんでもわざとらしすぎるチキンラーメンとかカップヌードルの出し方、トゥルーマンショーかいな。

このMV風にバックに歌を載せて嬉しげなシーンを繋いでこういうのが好きなんでしょ?って強制的に観客のテンションを上げてくるの、実際アガッちゃうから腹立つ。これ感動じゃなくて身体反射でそうなるだけやし。それやるとCMみたくなっちゃう諸刃の剣

スティーブンユニバースが面白く始めたのって、ラピスラズリが登場したあたりだよね。要するに、キャラに苦しみが与えられ始めたタイミング。それからどんどんキャラは苦しむ一方。最初はバカ丸出し能天気だったスティーブンも終盤は悩みっぱなし。つまり苦しみは重要ポイントだ

この前クリスマス明けに、ケーキスポンジとか生クリームが叩き売りされてたから、スポンジに生クリーム塗っただけのケーキ作ったけど、ひとりでケーキ1ホールは食うのしんどすぎてヴォエ!っなったから半分くらい冷凍しちゃったけど、1時間くらい自然解凍すれば全然美味しく食えますね

ブログを書きました。今年を振り返ろうと思ったら、去年から振り返ってしまいました。      振り返り 2019年秋(10月~12月) soysoftware.sakura.ne.jp/archi

ブリの刺身の端っこの赤黒いとこ、なんか子供の頃に親から「ここにDHAが詰まってる!」とか教わって、あと旨い気がするから、ブリで一番高級で最強の部位だと思ってたけど、この前スーパーでブリアラ買ったら何故かこの赤黒いとこの塊が入ってた。何で最強部位がアラなんだ?なんかおかしいな?とググったらこれって「血合い」とか呼ばれてて、むしろ最低で生臭くて下手すりゃ捨てられるくらい無価値な部位って扱いらしい。カルチャーショックだけど、でもやっぱり旨いよ

よく見ると結構エルサっぽい髪型してる女性多いな。そりゃもちろん誰でも自分の好きな髪にして全然構わないんだけど、純粋に疑問なのは、エルサって憧れるようなキャラなんかな。アナがハンスと結婚したらぼっちになるから阻止しようとして、結局トチってぼっちになって開き直ってありのまま生きる!ってとこまではいいけどやっぱ日和ったけど結局アナはクリストフとくっついてやっぱりぼっちになるって話でしょ。やけに気の毒なキャラだとは思ったけど、女性から見ると憧れるものがあるんやろか

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