ショーペンハウアーの「意志と表象としての世界」38節 ショーペンハウアーが言うには、我々は欲望の奴隷。一つ欲望を叶えても、10個の別の欲望が生じるだけできりがない。我々は常にきりの無い欲望に振り回されてるから、世界にあるモノを自分(の欲望)と関係あるかどうかでしか見れない。それに対して天才はモノそれ自体の本質をありのまま捉える。それが可能なのは天才が凡人と違って欲望に振り回されてない、安らぎの世界にいるから。あれやこれやの悩みとか、あれが欲しいこうしたいとかの欲望とかの自分の置かれてる現実から完全に離れた純粋な安らぎの気持ちで世界を見ている。オランダの静物画は、そういう安らぎの世界をモロに表現している。私達凡人は、こういう芸術作品を通してはじめて天才が観ているようなありのままの安らぎの世界を垣間見る事ができる。自分の普段のしょーもないモノの見方とのギャップが大きいほど感動してしまう。ロイスダールなんかは全然平凡な風景の絵を描いたけど、そうする事でむしろ鑑賞者は自分の普段の世界の見方とのギャップを感じる。
何でこういう構成になるかって、視聴者の気持ちに立てばわかる。まず最初は視聴者は主人公を見ても、「誰やワレ?」としか思わずに警戒してるから、警戒をほぐす必要があるから、とにかく漫才する。ここに作家性とかは要らない。つまらなくてもいい。手早く視聴者からの好感度を稼ぐ。それから仲良しパート。主人公がヒロインと出会い、仲良くなる。視聴者はここで、この話がどこに行こうとしてるのか理解する。「こいつらがくっ付いてゴールってわけや!」漫才パートのおかげで主人公を応援したい気持ちが視聴者に芽生えてる。そんでいい感じになった所で、ありとあらゆる問題が降ってきて主人公達を苦しめる。視聴者は「なんてこった!誰かこいつらを救ったれや!」とハラハラする。そんで最後に全てが完全に解決する。視聴者は完全に満足する
ブログを書きました。今年を振り返ろうと思ったら、去年から振り返ってしまいました。 振り返り 2019年秋(10月~12月) http://soysoftware.sakura.ne.jp/archives/1773